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トップページ > 石原 裕次郎・田端義夫・三波春夫 特別コラム > 田端義夫1

テイチク×ファミリー・ライフ 共同企画 オース! バタヤン 田端義夫 「島の舟唄」でデビュー

大阪は第二の故郷

 田端義夫は1919(大正8)年1月1日、三重県松阪市に生まれた。男5人、女5人の10人兄弟の9番目。3歳の時に父親が病没し、一家は長兄を頼って大阪へ。鶴橋の小学校に入学する。結局3年半しか通えなかったのだが、大阪を第二の故郷と呼んだのはこの時の6年間があるためである。貧苦のどん底だった少年時代、慢性的な栄養失調が続いていた義夫少年はある時トラホームにかかるが、医者へ行く金もなく、治療がままならなかった。16歳になる頃には右目がほとんど見えなくなっていたという。しかしそのために徴兵検査で丙種となり、兵役を免れた。正に運命のいたずらといえる。後に自身で「失った右目の代わりに心の目が開かれ、不屈の闘志と優しい心遣い、そしてギターと歌、いろいろなものを得ることができた」と述懐している。時代は既に昭和となっていた。
 その後、13歳で名古屋へ丁稚奉公に出ることに。薬屋〜菓子屋〜鉄工所を点々とする中で、名古屋に公演に来たディック・ミネの歌を聴きに行き、そこで電気ギターを弾きながら歌われた古賀政男の曲「愛の小窓」に感動して、以来歌とギターのとりことなる。薄給ではギターを買える由もなく、ベニヤ板をギターの形にくり抜き、木綿糸を張って自作した。ギターならぬ伝説の“イター”の誕生である。自分だけの歌の練習場は、近くを流れる庄内川の橋の下。そこで川面を見ながら毎日大声で歌った。歌手になろうという大それた気持ちはなく、ただ歌うことが好きだから歌っていたそう。しかしその中でものまねではない、田端流の発声法が形成されていった。

「島の船唄」でデビュー

田端義夫

 1938(昭和13)年、姉の薦めで、名古屋劇場と新愛知新聞社主催のアマチュアコンクールに出場し、見事優勝を果たす。歌手・田端義夫の第一歩が踏み出されたのだった。この年は国家総動員法が公布され、戦争の影が色濃くなっていたが、田端はこのチャンスを逃すまいと上京し、ポリドールのテストに一発で合格する。
 最初の吹き込みはその年の暮れ、当時青山にあったポリドールのスタジオで行なわれた。翌39年6月、清水みのる作詞、倉若晴生作曲の「島の船唄」がデビュー曲となり、いきなりのヒットを記録。シンデレラボーイとして芸能界に躍り出ていった。文字通りの希望に満ちた船出であった。続いて「大利根月夜」「別れ船」など順調にヒットを重ねてゆくが、戦局はいよいよ著しく、慰問活動に明け暮れた。中国大陸の最前線では地雷原突破で九死に一生を得た。そしてこの時から、ギターを持って歌うバタヤンスタイルが定着していったという。慰問先では「梅と兵隊」が最も喜ばれるレパートリーだったそうだ。
 終戦は大阪で迎えた。公演中に何度も遭遇した空襲からも何とか逃れた強運のスターは、46年、恩師・清水みのる、倉若晴生と共にテイチクに入社。10月に発売された「かえり船」が大ヒットとなる。長かった戦争が終り、解放された人々の心に染みる歌だった。田端は歌手になって本当によかったと心の底から思い、以来この歌を歌う時には感情を抑え、出来るだけ淡々と歌おうと心がけた。歌手・田端義夫の魂ともいうべき、大きな重みを持つ歌となった。自身にとっても戦後の焼け跡から再出発した、復活の証といえる。そして田端のトレードマークのひとつであるかけ声「オース!」もこの頃生まれている。ある舞台で一曲歌って何の気なしに「オース」と言ったら、お客さんもそれに応えて好評を博した。それから舞台の幕が開くと必ず手を挙げて「オース!」と挨拶するようになったのだった。ヒントは、レコード会社の社長宅に居候していた頃に一緒だった、立教大学の相撲部のキャプテンが道場で使っていた「忍(オース)」にあるとのこと。デビュー前の美空ひばりと舞台で共演した時には田端のあまりの人気ぶりを見たひばりの母が、「田端さん、オースはやめてくださいよう。ひばりが霞んでしまう。次のステージではオースなしでたのみます」と懇願してきたエピソードもあったという。

(鈴木啓之=アーカイヴァー)(参考資料)
「オース!オース!オース! バタヤンの人生航路」/田端義夫(91年 日本放送出版協会)
「月刊カラオケファン 2005年7月号」(株式会社ミューズ)

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オース!バタヤン魂の歌声&ギター演奏が
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