ファッション
化粧・美容
メイクアップ&スキンケア
ボディケア&ダイエット
インナーウェア・ヘアケア
健康・シルバー用品
運動
健康器具
健康・介護・シルバー用品
寝装・寝具
ベッド・ベッド関連用品
マットレス
寝具セット、掛布団、枕
敷布団
毛布
かいまき、半天
こたつ・こたつ布団・こたつ天板
タオルケット・軽寝具
ごろ寝長座布団、座布団
インテリア
チェア・椅子・ソファー
座椅子・スツール
ソファカバー
テーブル・座卓
カーペット・ラグ
い草上敷き・畳、
籐カーペット
廊下敷き・階段マット
玄関マット・キッチンマット
カーテン・のれん、
スクリーン
室内装飾、
インテリアグリーン
収納家具・便利家具
リビング家具、収納
衣類収納
キッチン家具、収納
玄関収納
サニタリー収納
ハウスキーピング
キッチン用具、調理家電
バス、トイレ用品
洗たく、清掃用品
エクステリア、園芸用品
アイディア雑貨
除菌グッズ
仏壇仏具、冠婚葬祭用品
印かん、掛軸、開運グッズ
玩具、ゲーム、ぬいぐるみ
オーディオ、ラジカセ、
ステレオ
アイディアグッズ
防災用品
ペットコーナー
食品
缶詰
梅干し・漬物
水産物・お魚
農作物・畜産物・お肉
お菓子・スイーツ
有名メーカー・業務用・保存食
訳ありグルメ
健康食品・サプリメント
  • メールマガジン購読
  • 演歌歌謡曲サイト「こぶしdeねっと」
  • あべ静江さん
  • 平 浩二さん
  • 松本 匡史さん
  • 定岡 正二さん
  • ハートフルウェルフェア

営業日カレンダー

  • 9月
        1 2 3 4 5
    6 7 8 9 10 11 12
    13 14 15 16 17 18 19
    20 21 22 23 24 25 26
    27 28 29 30      
  • 10月
            1 2 3
    4 5 6 7 8 9 10
    11 12 13 14 15 16 17
    18 19 20 21 22 23 24
    25 26 27 28 29 30 31
 

…休業日

ご注文、お問合せに関しましても通常通りFAXとメールにて24時間受け付けております。その場合、発送は休み明けとなります。お客様から頂いたメールへのお返事は必ず2営業日以内に返信しております。万一、メールをお送り頂いたにもかかわらず、当店より返信がない場合は大変お手数をお掛けいたしますが、再度ご連絡下さいますよう、お願い申しあげます。また、ご注文後のお問合せの際には、必ず、ご注文番号及びお名前、お電話番号の記入をお願い申し上げます。

トップページ > 石原 裕次郎・田端義夫・三波春夫 特別コラム > 田端義夫2

テイチク×ファミリー・ライフ 共同企画 オース! バタヤン 田端義夫 「島育ち」でカムバック〜生涯現役を貫く

戦後もヒットを連発

 「かえり船」に次ぐヒットとなったのが、47年の「ズンドコ節」。さらに「玄海ブルース」「ふるさとの燈台」など戦後もヒットを連ねてゆく中、田端は映画俳優として銀幕の世界でも活躍した。初出演はデビューの翌年、京都松竹で撮られた『弥次喜多道中・六十四州唄栗毛』。
 ポリドールの先輩である東海林太郎や上原敏と一緒で、右も左もわからない田端にキセルの持ち方を優しく教えてくれたのは、主演の大スター・高田浩吉であり、田端の感激もひとしおであったらしい。粋なナンバーとして知られる「ダンディ気質」は東横映画『肉体の門』の中で歌われるなど、戦後は映画の主題歌・挿入歌を歌う機会が一層増した。50年には大映京都の『月の出船』に初主演し、主題歌も歌っている。気分は『哀愁』のロバート・テイラーだったそうだが、どうしてなかなかの美男子ぶりである。50年代後半までに70本以上の作品に出演した。最初は顔見せ程度だったものが次第に演技の面白さに目覚め、一時は本格的な役者の道を目指そうと思ったこともあると後に述懐している。
 生涯の戦友となるアメリカ製の電気ギターは、54年に購入されたもの。極端に高い位置で奏でる独特のスタイルは、ギターが普通のサイズより小ぶりであるためだろう。以来50年以上に亘るコンビとなった。しかし、大スターの田端も60年安保の頃になると、さすがにヒットから遠ざかってゆく。田端に限らず、戦前から活躍していた歌手は皆この位の時期に一線から退いている。美空ひばりや春日八郎ら、戦後にデビューした若いスターの台頭で、世代交代の波は確実に押し寄せていた。田端は41歳。田端もそれまで断っていたキャバレーなどの興行に出るようになるが、そこには若かりし修業時代にバタヤンの歌を聴き、今や功なり名を遂げた根強いファンが存在していた。田端は自分の歌を聴いてくれる人たちがいる限り何処へでも出かけようと思いを新たにしたのである。61年には初のLPを出してヒットに至り、初のギター・ソロのLPもファンは喜んで迎え入れた。

「島育ち」でカムバック〜生涯現役を貫く

田端義夫

 それが田端の起死回生のヒットとなる「島育ち」との出会いだった。難色を示した会社の文芸部を説き伏せてレコーディングにこぎつけ、レコードが世に出されたのがその年の11月。一切の宣伝なしにも関わらず地方から火が付き、一ヶ月で35万枚を売る大ヒットとなった。これで一気にスターの座へと返り咲いた田端は、翌38年の『NHK紅白歌合戦』に(意外にも)初出場。  浅草国際劇場での50万枚突破記念リサイタルなどの晴れ舞台に立ち、不死鳥のごとく甦った。東京オリンピックが開催された64年には、大阪府劇場奨励賞受賞、奄美大島に「島育ち」の記念碑が建立されるなど話題が尽きない。その半生が綴られたNHK『黄金の椅子』は全国に感動の嵐を巻き起こしたという。66年には古賀政男が代表発起人を務め、歌手生活25周年を祝う会が東京會舘で催されて、田端は感激の涙にくれたのであった。
 その後一時ミノルフォンに移籍するも、73年にはテイチクに復帰。独特のカンは再び働き、75年には自ら見出した「十九の春」をヒットさせて、日本レコード大賞特別賞を受賞する。この時一斉に「バタヤン、奇跡のカムバック!」と報じたマスコミに対し、田端は「奇跡じゃない。執念だ。歌手と歌との巡り会い。果報は寝て待っていては来ない。明日に燃える執念が名曲との出会いにつながる」と心の中で叫んだ。強運はまだ続く。79年にラスベガスのカジノのスロットで29万ドルの大当たりを出して凱旋帰国。その後すかさず「バタやんのツキツキぶし」を出したスタッフも抜け目がない。82年には恒例となる大阪・中座での公演がスタート。88年には歌手生活50周年を迎え、レコード大賞功労賞を受賞。翌年には勲四等瑞宝章も受章している。
 平成となってからも活動の勢いは衰えず、晩年まで現役最高齢歌手の座を溌剌と保っていたのは、80代にして「僕はもうずっと、歌に燃え、明日に燃え、女性に燃えて生きてきました。
いつもいい歌と出会いたい、すてきな女性と出会いたいと思ってますから」と語っていた健啖家気質によるものが大きかったとおぼしい。97年(平成9年)にリリースされ、ラスト・シングルとなった「涙そうそう」を歌ったのは、沖縄歌に縁があった田端にとって必然だったような気がしてならない。アルバム『島唄2』に収録されている同曲を含む数曲は沖縄での録音だった。プロモーションビデオに遺された、生涯を歌と共に生きた大スターの悔いなき表情が印象深い。生涯現役歌手を貫いた田端義夫は、日本歌謡界の至宝である。

(鈴木啓之=アーカイヴァー)(参考資料)
「オース!オース!オース! バタヤンの人生航路」/田端義夫(91年 日本放送出版協会)
「月刊カラオケファン 2005年7月号」(株式会社ミューズ)

バタヤンをはじめとする、
珠玉のマドロス港唄の数々…。 珠玉のマドロス港唄 CD5枚組 全90曲 カートンボックス収納
別冊歌詞・解説ブックレット付

ご購入はこちら

ブランク

前の記事へもどる